公益財団法人十市県主今西家保存会
奈良県橿原市今井町
重要文化財 今西家住宅
昭和32年6月18日指定 重要文化財

今西家住宅のご紹介
 江戸の町並みを今に残す「奈良県橿原市今井町」と「今西家住宅」のご紹介です。
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今井町と自治 今井郷と稱念寺 重要文化財 今西家住宅


今井町と自治
 今井は昔、興福寺の寺領であ
 ったが(至徳3年{1386年}興福
寺一乗院文書)、中世、永禄年間(1560年代)に突如として現在の今井町が生まれた。 それは今西家の先祖河合権兵衛尉清長(5代目川井長左衛門正冬)がその一族十市氏(龍王山城)の落城後郎党と共に今井へやって来た時期である。 町の周囲に堀をうがち、白く厚い壁で町を覆って自衛し、一向宗と結んで時の権力者織田信長と戦った時期に合致する。 信長によって武装は解除されたものの自治権を残して、それまでにも深い関係にあった海の堺と同じく陸の今井として栄えた。 徳川時代になって、世の中がおさまるにつれ高度の自治を展開したので徳川幕府はいまいを町として認め、江戸、大阪、京都、奈良と同様に、惣年寄、町年寄をおき町制にあたらせた。今井町に惣年寄制がしかれたのは慶長年間(1600年頃)で初めに川井与次兵衛(後改め今西氏)、河瀬入道兵部房(後改め今井氏)、尾崎源兵衛、後上田忠右衛門、を加えた。



 近江源氏の一族、永田刑部大夫高
 長の子河瀬太郎大夫高光の一子が幼くして父母に先立たれて山門に入り僧となったが、後還俗して、 河瀬新左衛門氏兼と名乗り大和に十市氏と川井氏を恃んだので、これを剃髪させて大坂に伴い、 石山本願寺顕如上人光佐の門流に属させて河瀬入道兵部房とし、 新しく今井郷に道場(稱念寺)を営立して住職とした。稱念寺は川井氏今西家が介立した今井郷の壇那寺である。


重要文化財今西家住宅 今西家は代々今井の惣年寄筆頭をつとめた家筋で、5代目川井長左衛門正冬のとき大坂夏の陣の功により、元和7年(1621年)5月 郡山城主松平下総守忠明(徳川家康の外孫)より今井町の西口にあることから今西姓を名乗るようにすすめられ、そのときに薙刀 銘来国俊を拝領している。
司法権、行政権を委ねられた当家は前途のように今井町の西口にあり、西側は環濠となる。




前面の道は本町筋で、西端には堺に向かうかの如く西口門が開けられ番人小屋がおかれていた。 外壁を白漆喰塗ごめとし、大棟の両端に段違いに小棟を付け、入母屋造りの破風を前後くい違 いにみせ、本瓦で葺いて堂々とした城郭風の外観をもつ。






2段正面の壁には、向かって右方に川の字の井桁枠で囲み川井氏の定紋を入れ、左には菱形
3段に重ねた当家の旗印を付けている。



  
居室は6間取、土間に添ってミセノマ、ナカノマ、ダイドコロ。上手には柱を立てず広い
空間として残し、大梁3本を中心とした豪壮な小屋組を見上げることができる。








『棟上げ慶安参年参月廿参日』の棟札銘により、慶安3年(1650年)の建立であることが知られる。 今井町では最も古い民家である。また主屋南隅に接続する角座敷も同期のものである。




今西家住宅





今西家住宅周辺