財団法人 今西家保存会
奈良県橿原市今井町
重要文化財 今西家住宅
昭和32年6月18日指定 重要文化財

会員募集

【ご挨拶および会員の募集】

今西家の先祖 は、大国主神の子たる事代主神に系譜し、 安寧天皇の第3子磯城津彦命の後裔である 古代豪族・十市県主で、南北朝時代に十市 城主・十市民部太夫遠武の次男・十市次朗 太夫直武が奈良県北葛城郡河合町大字川合 にある廣瀬大社神主・饒速日命の後裔であ る曾禰連樋口太夫正之の婿養子となり、 8000余石を領して河合城を築き、河合民部 少輔中原遠正と称し、南朝方武将として戦 ったのが川合・今西家初代であります。 「曾禰樋口氏系図」(河合町史)

戦国時代、筒井順慶に圧迫されて今井郷に 亡命した龍王山城主十市遠勝の後を追っ て、永禄9年(1566年)に十市氏一族で川 合・今西家5代・河合権兵衛尉清長(後改 め川合長左衞門正冬)が家臣と共に今井町 に移住しました。
十市家と川合家を恃んできた河瀬新左衛門 氏兼(称念寺初代住職)を石山本願寺顕如 上人光佐の門流に属させて河瀬入道兵部房 とし、新しく今井郷に道場を営立して住職 とし、一向宗と結んで、時の権力者織田信 長と闘うために街の周囲に環濠土塁をめぐ らして城塞都市化しました。

今井町は、中世の今井庄環濠集落を母体と して発展し、東西南北の他、新町・今町の 6町が成立しました。
今井の町勢の概略は、東西 600m、南北 310m、大体長方形の地形で東西南北方眼状 に道路を配し、その地形や街路の形状は、 町造りの始められた頃からの形状がほぼ現 在に残されています。
元亀2年(1571年)、信長包囲網の一環と して石山本願寺と今井郷も呼応し、織田信 長と闘うべく堀を深くし土塁や見通しを妨 げる筋違いの道路等を築き、最前線である 西口に櫓 を設け、今西家を城構えとし、 環濠城塞都市となりました。
戦争を仕掛けるためでなく自衛のためにつ くった、世界でも数少ない要塞都市の一つ であり、堀は場所によって違うが、幅が8 メートルから15メートル、深さは2メート ルほどもあったといいます。

天正3年(1575年)、織田信長の降伏勧告 を拒絶した今井郷民が蹶起し、織田軍勢と 半年あまり戦いましたが、結局降伏を余儀 なくされ、 天下三宗匠の一人・堺の豪商 津田宗及の斡旋で今井郷に対して11月9日 に赦免状が与えられました。
その年の冬に織田信長は、今西家南側に本 陣を構え、武装放棄を条件に「萬事大坂同 前」として、この町に大坂と同じように自 治権を認めました。
以後、今西家土間をお白州として権断沙汰 を取り仕切り、「海の堺」「陸の今井」と 並び称され、寛永11年(1634年)には江戸 幕府から許可され藩札と同じ価値のある独 自の紙幣である銀札「今井札」が発行され るまでになり、幕末まで栄えました。

明治維新後も依然、今井町は南大和の中心 地であり、明治初年には奈良県出張所が置 かれました。
奈良県再設置問題がおこった時もその庁舎 の位置について現在の奈良市を外し、今井 町に設置しようとする有力な動きがありま した。

また、今井町に大阪鉄道からの鉄道誘致が 持ち上がった際、明治政府より引き続き今 井町の取締りを命じられ任にあたっていた 川合・今西家13代・今西逸郎正厳が中心と なって立ち退き料などの提示を一切断り、 環濠内の鉄道駅建設計画に反対し、隣町の 八木町が畝傍駅として開業しました。
これにより近代化の波に乗れませんでした が、都市化を免れ、古い町並みのまま時間 を止める最大の原因になりました。
民家建築が文化財として着目されるように なったのは、第二次世界大戦後で昭和30年 (1955年)、東京大学工学部建築学科によ る町屋調査を経て、倒壊寸前の今西家が昭 和32年(1957年)6月18日に棟札とともに 国の重要文化財に指定されたことに端を発 し、全国に先駆けて「町並み保存運動」が 鼓動をあげることになりました。
現在も町の大半が江戸時代の姿を残してお り、重要文化財9件12棟、奈良県指定有形 文化財3件11棟、橿原市指定文化財5件6棟 が存在しております。
以上、簡単に歴史的背景を記しましたが、 今井町が現在までその存在を残すことが出 来得たのは、先人のたゆまぬ努力の賜物と 共に環濠が町の周囲をめぐらしていたが所 以であると言えます。

特に、今西家の旧所領地である南西部の 現・春日神社から北西部の八幡神社にかけ て環濠を深くして、三重の堀にして強固な 備えとしたからこそ、織田信長軍に対して 持ち堪えることが出来たと言えます。
明治初年頃まで残存していた町の入口に開 く番屋まで付属した9つの門(東側3ヶ所、 西側1箇所番屋付設、南側3ヶ所、北側2箇 所)は自治都市としての特権の象徴であ り、これらの門は朝6時から夕方6時まで開 閉され、夜間は4門のみを指定して吟味の 上出入りさせておりました。
特に今西家近くにある本町筋の西門は番屋 を建てて門番を置き厳重なのもとしまし た。
また、門番は番屋に屯して夜警を兼ね、町 内巡邏の任に当たっていました。
当時、町内には旅籠屋が全く無く来泊者は 通常1日を限度として、2泊以上宿泊する場 合は町年寄に届出が必要であったほど環濠 内の安全を確保していました。
このように、今井町独自の「町掟」を決 め、環濠内の自治自衛が徹底したからこそ 古来より火事のない町であると共に秩序と 町並を守ることが出来た事が窺い知ること ができます。
今井町にとって環濠が暮らしの中でいかに かけがえのないものであり、町並を守って きた要因であったかを歴史的背景から考え てまいりましたが、環濠がなかったら現在 の今井町の町並も残っていなかったのは、 周知の事実ではないでしょうか。

現在の今西家 の宅地は、北・東とも道路に面して旧状ど おり、南面は、県道(御堂筋)までになっ ていますが、幕末期まで自衛的要塞の必要 上において児童公園から春日神社境内一円 も旧宅地でした。
今西家で塞がれていた御堂筋は、明治10年 (1877年)明治天皇行幸の際に県に無償貸 付け(橿原市今井町3丁目679-3、296- 4、296-6、295-2)して開通したもので す。

また、今井都市緑化事業の協力のため今西 家南西部(橿原市今井町3丁目679-3)を 無償貸付けし、今西家の茶室があった西部 (橿原市今井町3丁目679-1、644-2、644 -14)を今井児童公園として橿原市に寄贈 しています。
また、今西家南側に織田信長本陣跡の祠が 建っていましたが、第二次世界大戦の戦火 を危惧して撤去されました。

このように、今西家は、一貫して街なみ環 境整備や町並保存の事業に私利私欲を捨て て惜しみなく協力をしてまいりましたの で、ご理解のほどお願いいたします。
今後、御堂筋においても電柱の地中化の工 事が計画され実施され、ますます歴史的景 観が向上していくものと考えられます。
今西家は、今まで通り微力ではあります が、できる限り協力をして参りたい所存で す。

十市縣主氏今西家
当主  今西 啓仁

当財団は、重要文化財今西家住宅並びに同 家に伝わる古文書、古美術品の保存維持管 理及び公開活用を行うとともにこれらに関 する研究調査を行い、もって学術文化の発 展に寄与することを目的として、広く一般 の皆様から「今西家保存会」一般会員(年 1口5,000 円から)および法人会員(年1口 10,000円から)を募っております。 同時に、重要文化財今西家住宅及びその 周辺の景観並びに同家に伝わる古文書、古 美術品等の保存維持管理運営事業費用への 使途指定寄付も募っておりますので、当事 務局に「寄付金申込書」をお申し込みくだ さい。 ※当財団法人は、公益財団法人(租税特別 措置法施行令第40条の3第1項第3号)とし て認可を受けております。 「特定公益増進法人」である当財団法人 に、相続財産のなかから税申告期限内に戴 いたご寄付(現金)には、相続税が課税さ れません。 また、「税額控除」または「所得控除」の 対象になります。 法人におかれましても、損金算入限度額が 拡大しましたのでお問い合わせくださいま せ。(平成24年4月1日以降開始の事業年度 から適用)
 
つきましては、当財団の主旨にご賛同の 上、下記の振込先にご支援賜りますようお 願い申し上げます。

          【振込先】
      南都銀行畝傍支店
      店番:500
      口座番号:0016699
      名義:公益財団法人十市県主 今西家保存会

ご協力を仰ぎました寄 付金は、建造物の修理、庭園維持管理、刀 剣類のメンテナンス・修理費、今井町の伝 統行事への協賛、古文書の調査・研究など の一部に充当いたします。

      

【近況報告および新着情報】

東北太平洋沖巨大地震 で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいた しますと共に、被災された人々に心よりお 見舞い申し上げます。
           
毎年 5 月の第2土・日 曜日に 「第 16回今井町並み散歩」 が開催され、重要伝統 的建造物群保存地区に選定されている今井 町を来訪者の方々に見てもらい交流するた め、重要文化財の公開・今井六斎市・茶行 列・各種コンサート・フリーマーケット等 が行われ、期間中毎年約3万人以上の方々 が訪れられます。

今回 は5月7日から15日まで期間を延長して「大 震災被災地のために何ができるか」と題 し、被災地支援行事として開催され延べ約 5万人の来訪者が来られました。

財団 法人今西家保存会としては、重要文化財今 西家および向かいの今西家新屋(チャリテ ィー展)に日本赤十字社奈良県支部から貸 し出された募金箱を設置しました。

「第 16回今井町並み散歩」義捐金合計 275,044円(うち財団法人今西家保存会 67,747円)を今井町町並み保存会若林稔会 長と一緒に日本赤十字社奈良県支部松田事 務局長に持参し託して 参りました。

皆さ まのご善意とご浄財に心よりお礼申し上げ ます。
合掌。




飛鳥時代、聖徳太子は、舎人・調子麻呂と 天駆ける名馬・黒駒を伴なって今井町東部 のある「蘇武の井戸」で御休憩されまし た。
太子は、「和を以て尊しと為す」とおしゃ りました。今なお争いが絶えない世の中に おいてやわらぎとなごみの精神を大和から 発信できればと考えております。

吉野の山林の恩恵を受けた世界に誇るべき 建造物群保存地区である「今井町」の木造 建築の住空間「今西家」において四季折々 の調度品をあしらって、季節ごとに題目を 提案して旬の素材を京漆 器・象彦特製の「お膳お腕」によそお い作法に囚われることなく、「直心(じき しん)の交わり」を創造し、「和」の食空 間と文化を企画していこうとおもっており ます。

なかでも漆器(JAPAN)は、木から作られ ており土から作られている陶磁器 (CHAINA)にあい対してつつましやかに暮 らしていく心構えで磨いていくという『エ イジング文化』になくてはならない調度品 だと考え、森林文化をもつ日本文化発信の 象徴にしたいと思っております。

また、茶道天下三宗匠(千利休、津田宗 及、今井宗久)のひとり「今井宗久」のゆ かりの地である今井町から茶道の真髄を蘇 生させうるべき「今井ルネサンス」を為し 得たいと強く切望し、日本文化に啓発を促 してゆければ今井宗久へのオマージュにな るものであると考えています。

つまり、真心を見つけ得るべく和の精神を モットーにカタチだけの呪縛を解き放ち、 自由で万人がなごみ得る空間の創出でなけ ればなりません。
そこには、必ず海外のひとからも受け入れ られ得る文化があると考えております。

  


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