
一期一会の草庵で再び戻らぬこの瞬間を主客一体(しゅかくいったい)になって共にその時間に心を込めてお互いをおもんばかって過ごし、一座建立して創りあげていくことこそ、虚勢、権勢という衣とヒエラルキーを脱ぎ、"胎内”といもいうべき茶室の戸口に入って同じ目線同じ時の流れを茶事の儀式(作法)をもって風雅を愛で共に感じ合う。
そこには、飾りはなく、何物にもとらわれず、固執しない境地そのものが存在し、真理をしかしめたのかもしれません。利休の高弟だった山上宗二は「一物も持たず、胸の覚悟一ひとつ、作分一、手柄一、此三箇条の調(ととの)いたるを侘数寄と云々」といい、侘茶人の真面目であるとしています。
「以心伝心、見性成仏(いしんでんしん けんしょうじょうぶつ)」。
弁ずるは黙するにしかず、すべて道や物の究極の本質については、ことばも沈黙も、その真相を伝えられない!ことばは伝えるための道具であって、伝わった途端に役目を終えます。 自分の心の内にある仏ないし自然を、呪縛束縛を解き放ちどのような道を通って自覚するか、というところにあり、その方法のひとつを発見した茶人たちが作為を弄せず、真理を極めた宗匠であると理解出来たからこそ、あの信長など権力者や公家も敬意をあらわし、衣冠を除して刀をはずし刀掛(かたなか)けに置き、気負うことなくにじり口を通って一旦こうべを垂れて「貴賎平等」のその空間に入っていたのでしょう。
客が市井を出て、山路をのぼり山居の紫門に至るまでの道程が外露地の世界であり、紫門を入った山居の侘び住まいが内露地の世界を意味します。最終到達点である茶室への入り口としてのにじり口へのアプローチの特殊性を強めるために、一定の広さの内露地の空間を茶室の回りに囲みとった演出効果が、二重露地や内露地の外に雪隠や待合などのある区画を設定することにつながりました。
露地がとる山里の面影は大和の青垣山々の里山の投影であり、侘び草庵の茶は持たざる者が、それゆえに生活を律し、大自然の恩恵に感謝し、精神的充足を感じ合う空間こそ、権勢や何物にも縛られず開放に満ち自由にあふれた三宗匠が愛した堺と今井の町を彷彿させたのではないでしょうか。そして、初座と後座で約四時間余りの遁世に精神の浄化再生を得て、世俗の世界に戻ってゆきました。