媛蹈鞴五十鈴媛命 (伊須気余理比売)

媛蹈鞴五十鈴媛命(伊須気余理比売)
媛蹈鞴五十鈴媛命(伊須気余理比売)

先住豪族のもう一人の長である弟磯城が戦さを収めて融和したことで神山御諸山を囲んで出雲ノ神を拝した民衆の叛乱を抑えた。神武東征後、天皇家にとっての重要な勢力基盤であった磯城邑を治めていた磯城県主家と外戚(がいせき)を結び、事代主神の大女(えむすめ 古事記 表記名:大物主の娘)媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと 伊須気余理比売)を皇后とした。事代主神の少女(おとむすめ 古事記 表記名:師木県主の女)五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)を第二代 綏靖天皇(すいぜいてんのう)の皇后にむかえ、以後6代にわたって皇妃(こうひ)を入れたとされる。

※ 媛蹈鞴五十鈴媛命 古事記名伊須気余理比売(いすけよりひめ)は大和国磯城郡を治める磯城氏の巫女で、磯城依比売(いそきよりひめ)の磯城(しき>いそき>いすけ)が転訛したのではないかと云う説がある。


あし原の 

しけしき(磯城)小屋に 

すがたたみ 

いやさや敷き(磯城)て 

わが二人寝し

 『古事記』神武天皇条
これは、東征の後に橿原の地で即位した神武天皇が、大久米の進言によって、狭井川の辺で見初めた比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と一夜を明かした時の歌で,「古事記」中つ巻にあり、それを記念して、「神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑」が建っている。

 

なお、兄磯城の勢力地域であった鳥見山は、即位後の神武天皇4年の春2月に皇祖神を祀った場所である霊畤(まつりにわ)と伝えられ、又即位後初めて皇祖天神を祀ったという日本書紀の記述から大嘗祭起源の舞台ともされる。

 

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