称念寺 落慶法要

称念寺本堂
復元された称念寺本堂

称念寺の修復は、一人の男の執念と先祖への報恩の思いから始まった。

旧制畝傍中学の後輩にあたる檀家総代・吉村徳久氏、そして橿原市議・細川佳秀氏、橿原市役所に勤務していた叔父の今西保郎ら檀家の方々と、父は幾度となく膝を突き合わせた。称念寺本堂の一室で、また大阪・上本町ハイハイタウンにある父の事務所で、議論は深夜まで続いた。

父が示した案は、称念寺を重要文化財に指定し、国の力で修復するというものだった。

 

誰もが内心、不可能だと思っていた。建立年代も比較的新しい称念寺が、重要文化財の指定を受けられるはずがない——。
しかし父を前にして、首を横に振れる者は一人もいなかった。その場の誰もが、父の眼差しと志の前に、ただ静かに頷くほかなかった。


しかし父は退かなかった。
各檀家に一円の負担もかけまいという信念のもと、懇意にしていた元環境事務次官・船後正道氏に力添えを求め、田野瀬良太郎衆議院議員、そして東京大学・渡邉定夫名誉教授が苦慮を重ねて文化庁への道を切り拓いた。幾重もの壁を超えて、ついに文化庁から指定の内諾を得た。条件は、本堂前の墓地移転であった。

父はまた動いた。中学の同級生が経営する藤井株式会社の隣接地を橿原市に買い上げさせ、墓地移転の道筋を静かに整えた。残った土地には橿原市立今井保育園が建ち、旧南口門の復元も実現した。
屋根を仮設し、足場の上にトラスを組む大規模な工法で、総修復費は二十億円前後に及んだ。それでも二〇〇二年の重要文化財指定によって住職と檀家の負担は大きく軽減され、長年の夢が一気に現実へと動き出した。

二〇一〇年(平成二十二年)四月、称念寺の解体修理がついに始まった。


そして二〇二二年——落慶法要の日。

再興された本堂に、静かな光が満ちていた。これほどまでに美しく蘇るとは、と思った。

見返りを望まず、名乗りを上げず、ただ義のために動く——父が生涯、身をもって示し続けたその精神が、この場に集った人々の心を一つに結んだ。利他の力とは、かくも美しいものかと、私は静かに胸が熱くなった。
まさに親鸞上人が説かれた「他力本願」——その言葉の本来の意味が、この場所に宿っていた。

祝辞に立った細川佳秀橿原市議長は、父への労いの言葉を述べる途中、目に涙を浮かべた。当時、田野瀬良太郎衆議院議員の秘書として一部始終を知る亀田忠彦橿原市長も、もらい泣きをこらえるのに精一杯だったと、話してくださった。


父は、この落慶法要を見届けることなく逝った。

しかし私には確かに感じられた——彼の世で父が、「良かったなぁ」と、静かに微笑んでいることが。

 

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