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目標転換宣言


「中央集権制下における自治都市(在郷町)の統治建造物」

――国宝指定への新たな論拠――

公益財団法人 十市県主今西家保存会

令和8年5月

 

一、目標転換の宣言

令和8年5月22日、文化庁文化審議会は兵庫県の箱木家住宅主屋(14世紀)および旧古井家住宅(15世紀)を「民家として初の国宝」に指定することを答申した。

これは、私たちが長年訴えてきた「民家カテゴリーの国宝指定」という制度的空白が埋まり始めた歴史的一歩である。

しかし私たちはここで立ち止まらない。

今回指定された2件はいずれも、居住空間としての民家という観点から評価された建物である。両件とも現在は無人であり、純粋な建築史的遺構として指定されたものである。

今西家住宅が体現する価値は、それとは本質的に異なる次元にある。

今西家住宅は単なる「民家」ではない。正確には——

「一向宗門徒とともに織田信長と半年以上戦い、『大坂同然』の自治権を実力で勝ち取った在郷町の最高統治機関として設計・機能し、かつ今日まで370年以上にわたり生き続けている、世界唯一の統治建造物」

である。

ここに私たちは、目標を以下のように転換する。

 

【旧目標】

民家カテゴリー初の国宝指定

【新目標】

「一向宗自治都市(在郷町)における統治建造物」

という独自カテゴリーによる国宝指定

 

二、新カテゴリーの定義と今西家住宅の唯一性

日本の文化財建造物の類型と空白

寺院建築(法隆寺・東大寺)→ 国宝あり

神社建築(宇治上神社)→ 国宝あり

城郭建築(姫路城・松本城)→ 国宝あり

武家住宅・陣屋(高山陣屋)→ 国宝なし(重文どまり)

民家・居住空間(箱木家・旧古井家)→ 令和8年に初指定

一向宗自治都市の統治建造物(今西家住宅)→ 皆無・世界唯一

「統治建造物」とは、単なる居住施設でも純粋な行政施設でもなく、一向宗門徒による武装自治共同体が時の最高権力と戦い、実力で自治権を勝ち取り、その統治機能を建築として具現化した建造物を指す。

文化財保護法が正式に用いる「建造物」という語彙に完全に合致し、文化庁の審査基準との親和性においても最適な類型名称である。

国際的には “Architecture of Autonomous Governance of the Ikko-shu Community” と訳され、ユネスコ・イコモスへの発信においても明快に機能する。

このカテゴリーは、国内外の文化遺産の分類において前例がなく、今西家住宅はその世界的な唯一の遺構である。

 

自治権獲得の経緯——これが統治建造物の根拠である

天文年間(1532〜55年)、本願寺の今井兵部が称念寺を建て、今井町は一向宗の寺内町として成立した。環濠と惣構えを築き、武装自治都市として独立性を保った。

天正3年(1575年)、織田信長の降伏勧告を拒絶した今井郷民は、一向宗門徒として蹶起し、佐久間信盛・明智光秀配下の筒井順慶率いる織田軍と半年以上にわたって交戦した。

鉄砲隊を擁する今井郷民の奮戦により、信長はついに今井郷の自治を認め、「萬事大坂同前」——すべての点において大坂と同じという自治権を公認した朱印状を交付した。

信長は今西家を眺め「やつむね」と称して本陣を後にしたと伝わり、これが八棟造という名称の由来となった。

この「大坂同然」の自治権こそが、今西家住宅に司法・行政・拘禁の三機能が組み込まれた根拠である。今西家住宅は、戦って勝ち取った自治の、建築的宣言である。

同じく自治都市として知られた堺が大坂夏の陣で全焼させられた一方、今井町は元和元年(1615年)にも元和の今井の戦いで大野治房の軍勢を鉄砲隊で撃退し、無傷のまま生き残った。「海の堺、陸の今井」——この言葉が示す通り、今井町は日本の一向宗自治都市の最後の完全な生き残りである。

 

今西家住宅がこのカテゴリーに該当する四つの証拠

証拠①——「大坂同然」の自治権の建築的体現

信長朱印状によって公認された自治権のもと、江戸時代においても今西家は司法・行政の中枢として機能した。元和元年(1615年)の武家諸法度以降、一般町家に許されなかった二階床の間・式台を今西家が正式に保持していたことは、その自治権が江戸幕府にも継続して認められた証左である。

建物そのものが「戦った末に自治権を許可された建造物としての物証」として機能している。建物が歴史的文書としての証拠能力を持つという、きわめて稀有な事例である。

証拠②——司法・行政・拘禁の三機能が一体として現存

お白洲(土間)28坪・建物の半分を占める裁判空間、燻し牢・男女別牢屋という拘禁施設の遺構、S字型梁によるお白洲の荘厳化——司法・行政・拘禁の三機能が、一棟の建造物の中に設計段階から組み込まれ、かつ現存する建造物は、日本全国に今西家住宅以外に存在しない。

証拠③——自治権の歴史的連続性

天正3年(1575年)の信長との抗戦と「大坂同然」の自治権獲得から始まり、寛永11年(1634年)の通貨発行権(今井札74年間流通)、延宝7年(1679年)の天領編入後も幕末まで続いた惣年寄筆頭職、明治政府からの市中取締り委嘱、13代目逸郎の男爵位辞退・鉄道誘致反対——今西家の自治は一度も途絶えることなく19代まで継承されている。

証拠④——一向宗自治都市という都市類型の最後の完全な遺構

本願寺を中心とした一向宗の自治都市は、戦国時代に各地に存在したが、その大半は織田・豊臣・徳川の支配によって解体・破壊された。今井町は日本に現存する唯一の、完全な形を保つ一向宗自治都市であり、その統治機能の中枢建造物が今西家住宅である。

 

三、箱木家・旧古井家との本質的差異

建築年代

箱木家:14世紀/旧古井家:15世紀/今西家:1650年(慶安3年)

現在の居住

箱木家:無人/旧古井家:無人(移築)/今西家:19代目居住中

建物の機能

箱木家:居住空間/旧古井家:居住空間/今西家:統治建造物+居住空間

建立年代の証拠

箱木家:様式による推定/旧古井家:様式による推定/今西家:棟札+鬼瓦銘の二重確証

自治権との関係

箱木家:なし/旧古井家:なし/今西家:信長との戦いで実力で勝ち取った自治権の物証

司法機能の遺構

箱木家:なし/旧古井家:なし/今西家:お白洲・牢屋・燻し牢が現存

生きた文化遺産

箱木家:博物館的保存/旧古井家:博物館的保存/今西家:生活・文化継承が継続

伊藤ていじの評価

箱木家:なし/旧古井家:なし/今西家:「民家の法隆寺」

 

四、国際的文脈における唯一性

ユネスコ世界遺産の顕著な普遍的価値(OUV)の観点からも、今西家住宅の新カテゴリーは強力な論拠を持つ。

基準(iii)——唯一の文化的証拠

一向宗門徒による武装自治都市の統治建造物が現存する事例は、日本のみならず世界的に類例がない。中世ヨーロッパの自由都市と比較されうる日本固有の市民自治の建築的証拠である。

基準(iv)——歴史上の重要な段階を示す建築の傑出した例

戦国時代の宗教的武装自治から江戸封建制下の公認自治へ、そして近代における文明防衛の決断へ——今西家住宅はその全段階を一棟の建造物として体現している。

基準(vi)——顕著な普遍的意義を有する出来事と直接関連するもの

一向宗門徒が織田信長に抵抗し「大坂同然」の自治を勝ち取った天正3年(1575年)の事件は、日本史上最も劇的な市民自治の獲得事例であり、その精神は370年にわたり今西家住宅の中で生き続けている。

 

五、文化庁への新要望事項

一、文化庁による「自治都市における統治建造物」という新たな建造物類型の検討開始

一、今西家住宅を当該類型における国宝指定候補物件として位置づけるための専門家委員会の設置

一、比較研究のための全国悉皆調査の実施(類似事例が存在しないことの公式確認)

 

六、新しいキャッチコピー

「民家の国宝は、生まれた。」

「次は——自治の国宝を。」

 

「信長と戦い、『大坂同然』の自治を勝ち取った町の司令部。それは、国宝になれるか。」

 

「お白洲も、牢屋も、燻し牢も、すべて残っている。一向宗門徒が血で守った裁判所が、今日も人が住んでいる。これを国宝と呼ばずして、何を国宝と呼ぶのか。」

 

公益財団法人 十市県主今西家保存会

代表理事 今西 啓仁

奈良県橿原市今井町三丁目九番二十五号

署名:https://forms.gle/2KiN3n4HBTyr49B27

公式サイト:https://www.imanishike.or.jp/

国宝指定運動:https://sites.google.com/imanishike.or.jp/kokuhou/ホーム


重要文化財「今西家住宅」の国宝指定に関する要望

【要望の趣旨】

重要伝統的建造物群保存地区・奈良県橿原市今井町に所在する(慶安3年)1650322日建立の重要文化財「今西家住宅」(昭和32618日指定)は、棟札および屋根棟端部の鬼瓦に刻まれた刻銘(鬼瓦銘)により建立年代が明確であり、棟札は附(つけたり)指定を受けています。

本建物は旧環濠集落の西端に位置し、「西の要」として外敵を威嚇・防禦する意図をもって城郭を思わせる構えを備えています。北側の本町筋へ意図的に突出し枡形を形成し、二階座敷の北・東両面には塗籠の連子窓を設け、町内外の動向を見張る構造となっています。
本建物の妻面には複数の屋根の稜線が見える重ね妻の棟数の多い建物で、天守に千鳥破風や唐破風を付けて外観を立派に見せる手法と同じであり、外部白漆喰塗により柱を隠し、軒下まで塗りあげ大壁構法を用い、城を思い起こさせる建築様式で、大屋根、庇(ひさし)とも本瓦葺、外壁は大壁白漆喰に仕上げられ、正面には太い格子が入っており、二階窓の格子は軒(のき)と同様に塗籠められています。梁は、細い幅の面を数多くつくって、元の丸太の形をあまり変えない「瓜むき」といわれる加工法で、井桁に組んだ太い梁の上に小屋束を立て、貫(ぬき)で連結した豪壮な小屋組や棟と直角に設けられた煙出しは、戦国時代の城郭建築の特色を残したわが国において唯一無二の特殊な民家であります。また、今西家の柱や梁を支えているのは、かつて大和・吉野で育った数百年生の栂(つが)で、本来は一般の民家には使われず、城郭建築に用いられた建材であり、現在では、これほどの質と規模を誇る栂の原生林は日本から姿を消し、同じ建造物を再現することは、不可能といわれます。今西家住宅に使われてきた適材適所の材木は、格式と強度をこの家に与え、四百年近くの重圧を支え続けてきた「木の博物館」であると考えられます。



さらに、元和元年(1615年)の武家諸法度発布以来、幕府は建築様式による身分規制を強化しましたが、今西家はその規制下にあっても「2階床の間」および「式台(お白州)」を備えていたことは、本住宅が単なる生活の場ではなく、幕府より司法・行政権を委託された「自治都市の最高執務機関」であり、元禄の緩和期に至るまで、町家における床の間の設置、特に2階への設置は厳しく制限されていた二階床の間の保持は、今西家が武家としての身分を幕府から公認されていたことの証左でもあります。

また、民家として日本最古の「帳台構え」を完全な形で残し、土間が平面の半分を占め、上段框や式台を設けてお白洲の場を意匠し、燻し牢や牢屋を備えるなど、行政司法機能(陣屋)的性格を有する建築として設計されています。自治都市・今井町の威容を今に伝える存在であり、「民家の法隆寺」とも称される極めて稀少な遺構です。


戦後、東京大学工学部建築学科による町家調査に端を発し、今西家住宅は棟札とともに国の重要文化財に推薦され、1957年(昭和32年)618日に指定されました。これを契機として民家建築が文化財として本格的に着目され、日本における「町並み保存運動」が始動しました。

日本一となる約500件の伝統的建造物を有する今井町から始まった町並み保存運動は、後の「伝統的建造物群保存地区(伝建)」制度創設の大きな契機となりました。住文化研究が進展し評価軸が成熟した現在こそ、国宝制度において「民家」という領域を補完する議論が必要不可欠であると考えます。

 

従来の国宝(寺社・城郭)は、主に権威を象徴してきました。しかし、現行の国宝制度がいまだ十分に対象としていない、伝建地区に内在する「民家」という領域にこそ、日本文化の基層が存在するのではないでしょうか。民家は広範な国民の歴史体験を内包する建築類型であり、その公共性は寺社建築以上に高いとも言えます。

民家カテゴリーに国宝が存在しない現状は、制度上の空白であり、国宝制度が網羅しきれていない領域があることを示しています。今西家住宅を国宝に指定することは、単に過去を称える行為ではありません。それは、日本人が何を美と信じ、どのような日常を営み、その営みをいかに守ってきたのかを自らに問い直す行為です。

失われゆく原風景への警鐘として、「民家の法隆寺」と称される今西家住宅を国宝に位置づけることは、文化継承に対する国民の明確な意思表示となります。

よって私たちは、我が国における「民家カテゴリー国宝指定第一号」として、今西家住宅が正当に再評価され、次世代へ確実に継承されることを強く要望いたします。


奈良県橿原市今井町は、全国最多の伝統的建造物件数を誇る「日本一の重要伝統的建造物群保存地区」です。その中核をなす重要文化財「今西家住宅」(昭和32年指定)について、以下の学術的データが証明する圧倒的な非凡性に基づき、わが国初の「民家カテゴリーでの国宝指定」を強く要望いたします。


一、370年を耐え抜いた「年代確定遺構」としての稀少性
1650
年(慶安3年)の建立。現存する近世民家の中でも最古級であり、棟札や鬼瓦銘によって建立年代が完全に特定されている点は、近世建築史における「基準作」としての絶対的価値を有しています。


一、驚異的な「当初材」の残存率
昭和37年 重要文化財今西家住宅解体修理工事報告書(奈良県文化財保存事務所)によれば、主要構造部における当初材の残存率が極めて高く、将来の支障がない限り再利用し、370年以上前の木材が今なお現役で建物を支えています。

この「真正性(オーセンティシティ)」の高さは、国宝に値する質的条件を十分に満たしています。生活に合わせて鴨居や間取りを「改変」してきたのに対し、今西家は公的施設であったため建立当時の姿を驚くほど忠実に留めています。17世紀中期の建築技術をそのままパッケージしたような保存状態は、まさに「建築の教科書」です。


一、行政司法拠点としての権威を象徴する「政治的建築」としての意匠
「八棟造」と称される複雑かつ重厚な屋根構成は、単なる住居ではなく、民家でありながら「陣屋(行政・司法拠点)」としての性格を併せ持つこの空間は、自治都市の体現化建造物であり、他には代えがたい唯一無二の遺構です。 また、内部の日本最古の「帳台構え」や、行政司法を司った「お白洲」「牢屋」の遺構は、江戸幕府の封建体制化にありながら自治を認められた特例的な町の歴史を体現する唯一無二の文化遺産です。


一、保存の継続性と誠実な修復の歴史
昭和37年の抜本的修理において、当時の最高峰の保存技術が投じられたことは、本建物が長きにわたり国家的な至宝として誠実に守り継がれてきた「保存の継続性」を担保しており、未来へ語り継ぐべき模範的文化財であることを示しています。

戦後の「町並み保存運動」の原点となった今西家住宅を国宝に指定することは、日本の「住文化」を正当に再評価し、文化立国としての矜持を国内外に示すことにつながります。

一、運営の安定性 公益財団法人による永久保存体制

国宝指定において、個人の所有でなく,公益財団法人による所有であることは、法的な情報開示義務と透明性を伴い、次世代への確実な継承を約束するものです。



【要望事項】

一、文化庁による国宝指定に向けた再評価および悉皆調査の実施

一、「重要文化財今西家住宅 国宝化推進委員会」の設置と、保存継承に向けた官民一体の協力体制の構築

要望書

 

令和  年  月  日

 

     文部科学大臣  殿

 

公益財団法人十市県主今西家保存会

代表理事 今西 啓仁

 

重要文化財今西家住宅の「国宝」指定に関する要望

 

拝啓

時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。平素より我が国の文化遺産の保護および継承に多大なるご尽力を賜り、衷心より敬意を表します。

 

さて、奈良県橿原市今井町に所在いたします重要文化財今西家住宅(昭和32618日指定)につきまして、我が国における「民家カテゴリー初の国宝」としての指定を賜りたく、法曹的知見および建築史的価値に基づき、ここに強く要望いたします。

 

1. 建立年代の確証性と学術的真正性

本住宅は、1650年(慶安3年)322日の建立であることが、現存する棟札および鬼瓦に刻まれた鬼瓦銘によって歴史的事実として明確に認定されております。この棟札は、建築物と一体不可分の歴史的証拠として重要文化財の附(つけたり)指定を受けており、その真正性は学術的・法的に疑いの余地がないものとなっております。

 

2. 自治都市の威容を伝える「行政司法拠点」としての希少性

本遺構は、単なる居住施設に留まらず、以下の点において極めて高い公共的・歴史的価値を有しております。

・建築形式の先駆性:民家として日本最古の「帳台構え」を完全な形で保存しております。

・司法機能の意匠:敷地の約半分を占める広大な土間部に加え、上段框や式台を施したお白洲、さらには燻し牢や牢屋を備えております。明治以降の近代司法に関する遺構につきましては、旧金沢監獄正門や札幌市資料館(旧札幌控訴院庁舎)をはじめとして全国数多に残されておりますが、本遺構に関しましては、近代法が整備される以前の我が国における法制史について、文献による伝聞ではなく実際の建造物として如実に伝承するものであるからして、その希少価値が高いことは分明なるものと思料いたします。

・自治の象徴:これらは、本住宅が今井町における「行政司法府(陣屋)」として設計・機能していたことを明白に示すものであり、中世から近世へと至る自治都市の精神を具現化した「民家の法隆寺」と称されるべき唯一無二の遺構です。

 

3. 「日常の営み」への肯定と国宝概念の拡張

建築史家・伊藤ていじ氏が説いた通り、本住宅は「民衆の知恵が結集したデザインの原点」であります。これまでの国宝指定(寺社・城郭等)が「非日常の権威」を象徴するものであったのに対し、今西家住宅は、我が国の先祖が紡いできた「日常の営み」と、封建制下で許された「自治」の稀有な歴史を肯定する最高峰の建築物です。

 

急速に失われつつある日本の原風景に対し、民家建築の最高峰である今西家住宅を国宝に据えることは、「日本の住文化を守り抜く」という国家の確固たる意志表示となります。

 

結びに代えて

以上の通り、今西家住宅は、その歴史的経緯、建築的意匠、および司法拠点としての公共性において、国宝に指定されるべき正当な事由を備えております。我が国の文化財保護制度における「民家カテゴリー第一号の国宝」として、正当なる評価と次世代への継承がなされるよう、格別のご高配を賜りたく伏してお願い申し上げ本要望書を謹呈いたしますます。

 

敬具

今、この「傷だらけで立ち続けてきた自治精神の体現化建造物」に報いる時が来ています。

今西家住宅を国宝に指定することは、単に木材の組み方を保存することではありません。

この家が証明した「人と建築の深き絆」を、そして「何があっても守り抜くという日本人の精神」を、永遠の宝として歴史に刻むことです。

今井町の先人が無償で力を合わせて二本の丸太で支えた、日本の自尊心。

その深い沈黙の中に眠る、四百年の鼓動を、今こそ正当なる評価と共に未来へ。

の重要文化財「今西家住宅」(昭和32618日指定)は、棟札および屋根棟端部の鬼瓦に刻まれた刻銘(鬼瓦銘)により建立年代が明確であり、棟札は附(つけたり)指定を受けています。

本建物は旧環濠集落の西端に位置し、「西の要」として外敵を威嚇・防禦する意図をもって城郭を思わせる構えを備えています。北側の本町筋へ意図的に突出し枡形を形成し、二階座敷の北・東両面には塗籠の連子窓を設け、町内外の動向を見張る構造となっています。
本建物の妻面には複数の屋根の稜線が見える重ね妻の棟数の多い建物で、天守に千鳥破風や唐破風を付けて外観を立派に見せる手法と同じであり、外部白漆喰塗により柱を隠し、軒下まで塗りあげ大壁構法を用い、城を思い起こさせる建築様式で、大屋根、庇(ひさし)とも本瓦葺、外壁は大壁白漆喰に仕上げられ、正面には太い格子が入っており、二階窓の格子は軒(のき)と同様に塗籠められています。梁は、細い幅の面を数多くつくって、元の丸太の形をあまり変えない「瓜むき」といわれる加工法で、井桁に組んだ太い梁の上に小屋束を立て、貫(ぬき)で連結した豪壮な小屋組や棟と直角に設けられた煙出しは、戦国時代の城郭建築の特色を残したわが国において唯一無二の特殊な民家であります。また、今西家の柱や梁を支えているのは、かつて大和・吉野で育った数百年生の栂(つが)で、本来は一般の民家には使われず、城郭建築に用いられた建材であり、現在では、これほどの質と規模を誇る栂の原生林は日本から姿を消し、同じ建造物を再現することは、不可能といわれます。今西家住宅に使われてきた適材適所の材木は、格式と強度をこの家に与え、四百年近くの重圧を支え続けてきた「木の博物館」であると考えられます。



さらに、元和元年(1615年)の武家諸法度発布以来、幕府は建築様式による身分規制を強化しましたが、今西家はその規制下にあっても「2階床の間」および「式台(お白州)」を備えていたことは、本住宅が単なる生活の場ではなく、幕府より司法・行政権を委託された「自治都市の最高執務機関」であり、元禄の緩和期に至るまで、町家における床の間の設置、特に2階への設置は厳しく制限されていた二階床の間の保持は、今西家が武家としての身分を幕府から公認されていたことの証左でもあります。

また、民家として日本最古の「帳台構え」を完全な形で残し、土間が平面の半分を占め、上段框や式台を設けてお白洲の場を意匠し、燻し牢や牢屋を備えるなど、行政司法機能(陣屋)的性格を有する建築として設計されています。自治都市・今井町の威容を今に伝える存在であり、「民家の法隆寺」とも称される極めて稀少な遺構です。


戦後、東京大学工学部建築学科による町家調査に端を発し、今西家住宅は棟札とともに国の重要文化財に推薦され、1957年(昭和32年)618日に指定されました。これを契機として民家建築が文化財として本格的に着目され、日本における「町並み保存運動」が始動しました。

日本一となる約500件の伝統的建造物を有する今井町から始まった町並み保存運動は、後の「伝統的建造物群保存地区(伝建)」制度創設の大きな契機となりました。住文化研究が進展し評価軸が成熟した現在こそ、国宝制度において「民家」という領域を補完する議論が必要不可欠であると考えます。


従来の国宝(寺社・城郭)は、主に権威を象徴してきました。しかし、現行の国宝制度がいまだ十分に対象としていない、伝建地区に内在する「民家」という領域にこそ、日本文化の基層が存在するのではないでしょうか。民家は広範な国民の歴史体験を内包する建築類型であり、その公共性は寺社建築以上に高いとも言えます。

民家カテゴリーに国宝が存在しない現状は、制度上の空白であり、国宝制度が網羅しきれていない領域があることを示しています。今西家住宅を国宝に指定することは、単に過去を称える行為ではありません。それは、日本人が何を美と信じ、どのような日常を営み、その営みをいかに守ってきたのかを自らに問い直す行為です。

失われゆく原風景への警鐘として、「民家の法隆寺」と称される今西家住宅を国宝に位置づけることは、文化継承に対する国民の明確な意思表示となります。

よって私たちは、我が国における「民家カテゴリー国宝指定第一号」として、今西家住宅が正当に再評価され、次世代へ確実に継承されることを強く要望いたします。


奈良県橿原市今井町は、全国最多の伝統的建造物件数を誇る「日本一の重要伝統的建造物群保存地区」です。その中核をなす重要文化財「今西家住宅」(昭和32年指定)について、以下の学術的データが証明する圧倒的な非凡性に基づき、わが国初の「民家カテゴリーでの国宝指定」を強く要望いたします。


一、370年を耐え抜いた「年代確定遺構」としての稀少性
1650
年(慶安3年)の建立。現存する近世民家の中でも最古級であり、棟札や鬼瓦銘によって建立年代が完全に特定されている点は、近世建築史における「基準作」としての絶対的価値を有しています。


一、驚異的な「当初材」の残存率
昭和37年 重要文化財今西家住宅解体修理工事報告書(奈良県文化財保存事務所)によれば、主要構造部における当初材の残存率が極めて高く、将来の支障がない限り再利用し、370年以上前の木材が今なお現役で建物を支えています。

この「真正性(オーセンティシティ)」の高さは、国宝に値する質的条件を十分に満たしています。生活に合わせて鴨居や間取りを「改変」してきたのに対し、今西家は公的施設であったため建立当時の姿を驚くほど忠実に留めています。17世紀中期の建築技術をそのままパッケージしたような保存状態は、まさに「建築の教科書」です。


一、行政司法拠点としての権威を象徴する「政治的建築」としての意匠
「八棟造」と称される複雑かつ重厚な屋根構成は、単なる住居ではなく、民家でありながら「陣屋(行政・司法拠点)」としての性格を併せ持つこの空間は、自治都市の体現化建造物であり、他には代えがたい唯一無二の遺構です。 また、内部の日本最古の「帳台構え」や、行政司法を司った「お白洲」「牢屋」の遺構は、江戸幕府の封建体制化にありながら自治を認められた特例的な町の歴史を体現する唯一無二の文化遺産です。


一、保存の継続性と誠実な修復の歴史
昭和37年の抜本的修理において、当時の最高峰の保存技術が投じられたことは、本建物が長きにわたり国家的な至宝として誠実に守り継がれてきた「保存の継続性」を担保しており、未来へ語り継ぐべき模範的文化財であることを示しています。

戦後の「町並み保存運動」の原点となった今西家住宅を国宝に指定することは、日本の「住文化」を正当に再評価し、文化立国としての矜持を国内外に示すことにつながります。

一、運営の安定性 公益財団法人による永久保存体制

国宝指定において、個人の所有でなく,公益財団法人による所有であることは、法的な情報開示義務と透明性を伴い、次世代への確実な継承を約束するものです。


【要望事項】

一、文化庁による国宝指定に向けた再評価および悉皆調査の実施

一、「重要文化財今西家住宅 国宝化推進委員会」の設置と、保存継承に向けた官民一体の協力体制の構築



要望書

 

令和  年  月  日

 

     文部科学大臣  殿

 

公益財団法人十市県主今西家保存会

代表理事 今西 啓仁

 

重要文化財今西家住宅の「国宝」指定に関する要望

 

拝啓

時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。平素より我が国の文化遺産の保護および継承に多大なるご尽力を賜り、衷心より敬意を表します。

 

さて、奈良県橿原市今井町に所在いたします重要文化財今西家住宅(昭和32618日指定)につきまして、我が国における「民家カテゴリー初の国宝」としての指定を賜りたく、法曹的知見および建築史的価値に基づき、ここに強く要望いたします。

 

1. 建立年代の確証性と学術的真正性

本住宅は、1650年(慶安3年)322日の建立であることが、現存する棟札および鬼瓦に刻まれた鬼瓦銘によって歴史的事実として明確に認定されております。この棟札は、建築物と一体不可分の歴史的証拠として重要文化財の附(つけたり)指定を受けており、その真正性は学術的・法的に疑いの余地がないものとなっております。

 

2. 自治都市の威容を伝える「行政司法拠点」としての希少性

本遺構は、単なる居住施設に留まらず、以下の点において極めて高い公共的・歴史的価値を有しております。

・建築形式の先駆性:民家として日本最古の「帳台構え」を完全な形で保存しております。

・司法機能の意匠:敷地の約半分を占める広大な土間部に加え、上段框や式台を施したお白洲、さらには燻し牢や牢屋を備えております。明治以降の近代司法に関する遺構につきましては、旧金沢監獄正門や札幌市資料館(旧札幌控訴院庁舎)をはじめとして全国数多に残されておりますが、本遺構に関しましては、近代法が整備される以前の我が国における法制史について、文献による伝聞ではなく実際の建造物として如実に伝承するものであるからして、その希少価値が高いことは分明なるものと思料いたします。

・自治の象徴:これらは、本住宅が今井町における「行政司法府(陣屋)」として設計・機能していたことを明白に示すものであり、中世から近世へと至る自治都市の精神を具現化した「民家の法隆寺」と称されるべき唯一無二の遺構です。

 

3. 「日常の営み」への肯定と国宝概念の拡張

建築史家・伊藤ていじ氏が説いた通り、本住宅は「民衆の知恵が結集したデザインの原点」であります。これまでの国宝指定(寺社・城郭等)が「非日常の権威」を象徴するものであったのに対し、今西家住宅は、我が国の先祖が紡いできた「日常の営み」と、封建制下で許された「自治」の稀有な歴史を肯定する最高峰の建築物です。

 

急速に失われつつある日本の原風景に対し、民家建築の最高峰である今西家住宅を国宝に据えることは、「日本の住文化を守り抜く」という国家の確固たる意志表示となります。

 

結びに代えて

以上の通り、今西家住宅は、その歴史的経緯、建築的意匠、および司法拠点としての公共性において、国宝に指定されるべき正当な事由を備えております。我が国の文化財保護制度における「民家カテゴリー第一号の国宝」として、正当なる評価と次世代への継承がなされるよう、格別のご高配を賜りたく伏してお願い申し上げ本要望書を謹呈いたしますます。

 

敬具

今、この「傷だらけで立ち続けてきた自治精神の体現化建造物」に報いる時が来ています。

今西家住宅を国宝に指定することは、単に木材の組み方を保存することではありません。

この家が証明した「人と建築の深き絆」を、そして「何があっても守り抜くという日本人の精神」を、永遠の宝として歴史に刻むことです。

今井町の先人が無償で力を合わせて二本の丸太で支えた、日本の自尊心。

その深い沈黙の中に眠る、四百年の鼓動を、今こそ正当なる評価と共に未来へ。