カテゴリ:今井町の歴史



織田信長の再三再四の降伏勧告を断固拒否して、(天正三)1575年、石山合戦に呼応し、在郷武士団(十市家、河合家一族郎党)と長島一向一揆の牢人などの今井郷民が挙兵し、明智光秀配属の筒井順慶率いる織田軍勢と半年あまり戦った。しかし、一向宗率いる顕如上人が信長に和睦を求めたため戦闘の大義を無くし、一貫して今井宗久は静観を貫いたので堺の天下三宗匠のひとり津田宗及の斡旋によって今井郷宛ての朱印状(橿原市指定文化財)が与えられ信長と和した。以後、本願寺と袂を分かち、寺内町から自治都市となった今井町にとって歴史が変わった転換期であった。