先祖

先祖 · 2018/05/27
「明わたる 天のかぐ山 そらかけて とをちの里の  梅の下風」 (群書類従 十市遠忠) 十市遠忠は、十市新左衛門遠治の子で、中原朝臣も称す。その頃、十市氏は興福寺大乗院方の衆徒であったが、父遠治の時代に所領を拡大した。 天文二年(1533)頃、遠忠が家督を継ぐと、木沢長政や筒井氏と争い、龍王山城に拠って一大勢力を築いた。官職は兵部少輔に進む。 天文十四年三月十六日、四十九歳で没。 堂上派の和歌を学び、三条西実隆、公条に師事した。詠草・自歌合・定数歌などが多く伝存し、正・続群書類従には百首歌と四種の自歌合が、私家集大成には五種の詠草が収められている。書家としても名があり、藤原定家撰の『拾遺百番歌合』『別本八代集秀逸』、宗良親王の『李花集』、藤原清輔の詠草など多くの歌書を写して後世に伝えた。 戦国の世、いくさにあいまみえながらこそ平和を望む歌が多い。 ・「十市遠忠百首」 続群書類従394(第十四輯下) ・「十市遠忠百番自歌合」 続群書類従417(第十五輯下) ・「十市遠忠三十六番自歌合」 群書類従222(第十三輯) ・「十市遠忠五十番自歌合」 続群書類従416(第十五輯下)