16世紀になると、堺と今井にかかわりが深い会合衆、町衆たち「天下三宗匠(千利休、津田宗及、今井宗久)」らは、茶数寄に徹するからといえ、家業を捨てて山中に遁れる訳にゆかず、茶の湯を愉しむひと時だけを遁世するために権力者の建物ではなく民家に彼らの道統の原形が在るととらえ、それを研ぎ澄まして茶室という結晶体にまで極めました。 風変わりでなく、立派でなく、垢抜けしているが、目立たない。こうした謙虚なたたずまいを茶室の理想としました。 それゆえに、茶室と露地は浮世の外の「市中の山居」でなければならず、手水で心身を清め、白露地を歩み、にじり口には掛け金を下して俗界と遮断する必要がありました。露地のことを白露地というのは、白とは清浄の意味であり、浄土をあらわします。

龍王山城は北城と南城に分かれ、山城としての比高も奈良県内一である。また、奈良県内最大級で、北城だけでも信貴山城に次ぐ大きさである。しばしば、龍王山城が、越後の春日山城、安芸の郡山城とならんで、日本の三大山城だといわれるが、規模だけで比べると、これは少し誇大ないい方である。 山中には二つの龍王社がある故に、龍王山と呼ばれ、東山麓の藤井で祀られた田町龍王社と西の柳本で祀られた柳本龍王社があり、どちらの龍王社も大和川の水源である。 布留川上流にはいくつか九頭神社があり、九頭竜神を祀っている。 昔から天理周辺では、東山中の桃尾の滝のある龍福寺付近は龍王の頭で、龍王山は背中の部分にあたるという。東山の峰々を蛇行して三輪山に至る部分はその尾と伝えられている。 そして、大和盆地の青垣の山々には巨大な「龍王」が鎮座されていた。この「龍王」こそ「大龍」で、東に鎮座する「四神」の中の「青龍」 と考えることができる。

「七夕(たなばた)」の語源は『古事記』の中で葦原中国(あしはらのなかつくに) を平定する中で、アメノワカヒコが亡くなって弔いにアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた「天なるや 弟棚機(おとたなばた)の 項(うな)がせる 玉の御統(みすまる)御統に 穴玉はや み谷 二渡らす 阿治志貴高日子根の神ぞ(訳:見たまえや、ひとびと。かの天上にて、機(はた)織る乙女の、うなじに懸(か)けし珠(たま)かざり。その緒に貫いた珠かざりの、穴玉うつくしく照るように、谷二つかけわたして、照りはえる神のすがたは、これぞわが兄の神。)」の弟棚機にあるとする。 また、お盆の精霊棚とその幡から棚幡といい、『萬葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ など七夕にまつわる歌が存在する。

大神神社御祭神大物主命(都味歯八重事代主)の御子・伊須気余理比売命(媛蹈鞴五十鈴媛)の御住所は、狭井川のほとり、『出雲屋敷』にあったと伝えられ、狭井とは笹百合のことであり、この初夏の時期に一帯に可憐な花を咲かせる。神武東征後、伊須気余理比売命(媛蹈鞴五十鈴媛)は神武天皇皇后となられる。

今西家西棟唐破風および千鳥破風に飾った重ね妻の台風被害による白漆喰破損の漆喰塗替え工事作業完了いたしました。

重要文化財今西家住宅における特別セミナー「美しき和菓子に宿る物語」 令和元年6月7日(金)11:30~15:00 参加費:8,500円 定員:20名先着順 お申込み:nagao@a-de-v.comまで ライフスタイルデザイナー長尾典子、葛の御菓子TSUJIMURA、華倭里行燈 場所: 今井町 重要文化財 今西家住宅

天皇陛下のご即位を寿ぎ謹んでお慶び申し上げます。 全世界の安寧と皇統がこれからも永久に続きますように大和の地よりお祈りしております。

織田信長の再三再四の降伏勧告を断固拒否して、(天正三)1575年、石山合戦に呼応し、在郷武士団(十市家、河合家一族郎党)と長島一向一揆の牢人などの今井郷民が挙兵し、明智光秀配属の筒井順慶率いる織田軍勢と半年あまり戦った。しかし、一向宗率いる顕如上人が信長に和睦を求めたため戦闘の大義を無くし、一貫して今井宗久は静観を貫いたので堺の天下三宗匠のひとり津田宗及の斡旋によって今井郷宛ての朱印状(橿原市指定文化財)が与えられ信長と和した。以後、本願寺とは一線を画し、自治都市となった今井町にとって歴史が変わった時であった。

古来、日本には五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。 節句は季節の節目に、無病息災、豊作、子孫繁栄などを願い、お供え物をしたり、邪気を祓う行事で「節供」ともいいます。 江戸幕府は、一年のうちで特に重要な節目として、五節句を式日に定めていましたが、この制度は明治6年に廃止されています。 現在は、季節を楽しむ行事として定着しています。 上巳陰暦3月3日は、「桃の節句」です。 本日から陰暦の3月3日まで、先祖が引き継いできたおひな様を飾り付けします。

写真の『棟上げ慶安参年参月廿参日』の棟札銘により、当家は(慶安三)1650年3月23日の建立であることが明らかです。 今井町では最も古く、日本で三番目に古い民家です。 東京大学工学部建築学科による全国町屋調査を経て、文化財保護法により(昭和三十二)1957年6月18日に国の重要文化財に指定され、建立年代を明確にする資料である棟札も同時に重要文化財の附(つけたり) 指定されました。 (元和元)1615年今井西辺において大坂方の大野治房麾下の箸尾重春、布施春行、萬歳友次、細井武春らと激戦があったが河合清長(川井長左衛門正冬)以下鉄砲隊の活躍により町は無傷のまま残りました。 しかし、大坂夏の陣の際、豊臣勢の攻撃を受けて傷みが激しかった長屋門が付設された今西家をお裁きや役所として使用しやすくするために七代目当主今西正盛によって(慶安三)1650年に改築されました。

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