今西家西棟唐破風および千鳥破風に飾った重ね妻の台風被害による白漆喰破損の漆喰塗替え工事作業完了いたしました。

重要文化財今西家住宅における特別セミナー「美しき和菓子に宿る物語」 令和元年6月7日(金)11:30~15:00 参加費:8,500円 定員:20名先着順 お申込み:nagao@a-de-v.comまで ライフスタイルデザイナー長尾典子、葛の御菓子TSUJIMURA、華倭里行燈 場所: 今井町 重要文化財 今西家住宅

天皇陛下のご即位を寿ぎ謹んでお慶び申し上げます。 全世界の安寧と皇統がこれからも永久に続きますように大和の地よりお祈りしております。

織田信長の再三再四の降伏勧告を断固拒否して、(天正三)1575年、石山合戦に呼応し、在郷武士団(十市家、河合家一族郎党)と長島一向一揆の牢人などの今井郷民が挙兵し、明智光秀配属の筒井順慶率いる織田軍勢と半年あまり戦った。しかし、一向宗率いる顕如上人が信長に和睦を求めたため戦闘の大義を無くし、堺の天下三宗匠・津田宗及の斡旋によって今井郷宛ての朱印状(橿原市指定文化財)が与えられ信長と和した。以後、本願寺とは一線を画し、自治都市となった。

古来、日本には五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。 節句は季節の節目に、無病息災、豊作、子孫繁栄などを願い、お供え物をしたり、邪気を祓う行事で「節供」ともいいます。 江戸幕府は、一年のうちで特に重要な節目として、五節句を式日に定めていましたが、この制度は明治6年に廃止されています。 現在は、季節を楽しむ行事として定着しています。 上巳陰暦3月3日は、「桃の節句」です。 本日から陰暦の3月3日まで、先祖が引き継いできたおひな様を飾り付けします。

写真の『棟上げ慶安参年参月廿参日』の棟札銘により、当家は(慶安三)1650年3月23日の建立であることが明らかです。 今井町では最も古く、日本で三番目に古い民家です。 東京大学工学部建築学科による全国町屋調査を経て、文化財保護法により(昭和三十二)1957年6月18日に国の重要文化財に指定され、建立年代を明確にする資料である棟札も同時に重要文化財の附(つけたり) 指定されました。 (元和元)1615年今井西辺において大坂方の大野治房麾下の箸尾重春、布施春行、萬歳友次、細井武春らと激戦があったが河合清長(川井長左衛門正冬)以下鉄砲隊の活躍により町は無傷のまま残りました。 しかし、大坂夏の陣の際、豊臣勢の攻撃を受けて傷みが激しかった長屋門が付設された今西家をお裁きや役所として使用しやすくするために七代目当主今西正盛によって(慶安三)1650年に改築されました。

孝霊天皇の御代、富士山が 噴火し、富士山がはじめて姿を現したという。 平成最後の山の日に富士山御来光を望む事が出来ました。 孝霊天皇が念願のハラミヤマ登山を行幸された折に、田子の浦人(たごのうらびと)が孝霊天皇に藤の花を捧げ、新しい山の名を織り込んだ秀歌を詠まれました。

東大寺・春日大社・興福寺など寺社建築の建立修復を手掛けてきた「建築工の匠」奈良の尾田組の伝統建築技術によって現代版の今西家を再現すべく、桜井の西垣林業が春日杉や吉野材をそろえ、生駒の山本瓦工業が瓦を葺き、内装は大丸木工部が担当して新築されるに至った。上棟式の日、尾田組宮大工棟梁とうりょうがてっぺんに登り、棟木に掛矢かけや を打ち下ろした途端、大黒柱と梁はりが音をたてて組みはめ込められた。それは、忘れることのできない光景で神聖な音が腹に響く、儀式であった。

江戸時代の大和には、多数の名産品が存在しました。 奈良盆地での稲作は、畑や田地でも盛んに行なわれていましたが、木綿が高収益を期待できる商品作物として、稲と競合するように作付けされるようになり操綿屋が盛んになりました。 また、盛衰してしまった奈良晒(ざらし)は、越後上布に勝るとも劣らない最上の麻製品で南都随一の産業となりました。 奈良町を中心に織り出され加工された高級麻織物は、江戸幕府の御用品にも指定されて統制と保護が加えられるほど栄華を極めました。武士や富裕な町人の裃などの礼服や夏向きの衣料として重宝されていました。

座右の銘である「承前啓後」について覚書を記す。啓はひらくとも読み、私の名前の一字です。 (1)過去をうけて未来を開く。 (2)上文を受けて下文を発展させる。 (3)前人の経験成果を受け継ぎ,新しいものを創造する(多くは学問や事業などについていう)。 中国の福建省永定県高頭郷に『承啓樓』《明末崇禎年間(1628~1644)に起工され、康煕四十八年(1709)にようやく完成したという、「江」一族の土樓。》があります。その碑に、 承前祖徳勤和儉  啓後孫謀讀與耕 [書き下し] 承前(しょうぜん)の祖徳(そとく)は勤(きん)和(と)儉(けん)。 啓後(けいご)の孫謀(そんぼう)は讀(どく)與(と)耕(こう)。[訳] 受け継いでいく祖先の徳は、家族円満にして共に助け合うことであり、他人を思いやる心がけと勤勉と倹約だ。 発展させる子孫の行いは、晴耕雨読だ。

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